西暦716年に高麗郡が設置され、西暦2016年(平成28年)には高麗郡建郡1300年を迎えることから、高麗鍋は、高麗神社や市内の事業者で構成される「高麗郡'S」によって、神社のイベントの時に考案されたものです。「高麗郡'S」は日高市の新たな名物として定着させ、町おこしの起爆剤にしようと考え、商工会とともに商品開発や販売促進などを積極的に進めています。高麗鍋の必須条件は「キムチ味」、「地場産野菜の使用」、「高麗人参の使用」の3つ。その他の工夫は自由で、商工会は麺類、米飯類、土産品等の商品が開発されることを期待しています。また、地場産の野菜や食材を利用することにより、消費拡大にもつながることから、地域経済の活性化も期待されています。
日高市は、埼玉県の南西部に位置し、首都圏から40キロ圏内にあります。東西約11.1キロメートル、南北約6キロメートルでほぼ矩形をなし、東は川越市、南東は狭山市、南は飯能市、北は坂戸市・鶴ヶ島市・毛呂山町に接しています。
東部はなだらかな台地で武蔵野の面影が色濃く残る市街地となっています。西部は秩父山地と高麗丘陵で、標高200~300mの丘陵・山岳地帯です。そして丘陵と台地の間を高麗川が東に流れています。
市の東側に首都圏中央連絡自動車道(圏央道)と国道407号、西側に国道299号が走り、県道川越日高線がこれらを結んでいます。鉄道はJR八高線とJR川越線、西武池袋線が乗り入れ、市の発展に大きな役割を果たしています。
日高市が誇る全国的に有名な観光名所として「巾着田(きんちゃくだ)」が挙げられます。高麗川の蛇行で形成され、その形がちょうど巾着の形に似ていることからその名がつけられました。日高市の鳥である「カワセミ」の生息地でもあり、約22haのきれいな清流に囲まれた平地は四季を通して花の美しいところ。特に秋の彼岸時期に咲く曼珠沙華が有名で、約5.5haの曼珠沙華群生地(巾着田曼珠沙華公園)は500万本もの花が咲き乱れる日本一のスケールです。また、日和田山などの山々にもハイキングコースが整備されているため、小学生たちの遠足地やお手軽なハイキングスポットとしても人気です。より詳しい日高市の観光情報は日高市観光協会ホームページからご覧いただけます。
紀元前37年から668年。朝鮮半島北部から中国東北部は「高句麗(こうくり)」という巨大な国が所有していました。しかし、唐と新羅の連合軍との戦いに敗れ、多くの高句麗人が海を渡り日本へ難を逃れました。日本では高句麗のことを「高麗(こま)」と記し、彼ら渡来人のことを「高麗人(こまびと)」と呼びました。
高麗人は、東国7国【駿河(静岡)、甲斐(山梨)、相模(神奈川)、上総(千葉)、下総(千葉)、常陸(茨城)、下野(栃木)】に住んでいました。当時政治を行なっていた大和朝廷は、入間郡の一部に広がっていた空閑地を「高麗郡」としました。東国7国に住んでいた高麗人達1799人は高麗郡に移住しました。
高句麗の王族であり、すぐれた人物であった「若光(じゃっこう)」は、高麗郡の首長を命ぜられ、郡を治めました。当時、荒野だった高麗郡内を開拓して、産業を興すなど、人々の生活を安定させました。彼らはそこで、生活の基盤を整え、役所の建設や道の敷設など、郡として必要な整備をしていきました。
出世の神様として有名な高麗神社には高麗郡の首長であった高麗王若光が祀られています。現在に至るまで、高麗王若光の子孫によって護られており、多数の参拝者が訪れています。聖天院には、高麗王若光の遺骨が納められています。「高麗王若光の墓」など、歴史的関わりの深い建造物があり、多くの方々が訪れます。
平成28年には高麗郡建郡から1300年を迎えたことを記念し、日高市ではさまざまなイベントが催されました。
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